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あゆみ(競技ごと)

競技ごとのあゆみ大会のあゆみ国際大会参加のあゆみ調査研究のあゆみ

アーチェリー

玉津アーチェリークラブ
玉津アーチェリークラブ

 玉津アーチェリークラブは、当体育館開設以前より県立障害者高等技術専門学院玄関前空き地に的台をつくり練習に励んでいました。体育館開設後は屋外に50、30mの射場を設置(現在は30mのみ)。当時は夜間照明をつけて毎夕方5~6名が練習をしていました。アーチェリーは健常者と同等に競技できるところから、車椅子使用の岡西三千夫選手は厳しい標準記録を突破して昭和51年全日本アーチェリー選手権大会に出場。昭和61年には予選を勝ち抜いて国民体育大会(一般)にも出場し健闘しました。選手を指導し、共に練習に励んだ谷指導員も昭和52年全日本アーチェリー選手権大会に選手として出場しました。昭和50年から現在までアーチェリー教室(谷指導員)を開催し、車椅子使用の泉武文、松本英雄、松村夢治選手がストークマンデビル大会やパラリンピックで活躍しています。

 また、昭和51年からのじぎく杯大会(春)、のじぎく杯室内大会(冬)が当体育館主催で開催されていましたが、昭和56年に兵庫県身体障害者アーチェリー連盟が結成されると当体育館と共催で毎年開催するようになりました。なお、当体育館に長距離を射てる射場がないために、のじぎく杯大会(春)は明石陸上競技場、加古川河川敷、神戸しあわせの村で行ってきました。

クラブ 兵庫玉津アーチェリークラブ 昭和50年から利用 肢体車椅子・立位、聴覚障害
協会 兵庫県身体障害者アーチェリー連盟 昭和56年~ 肢体車椅子・立位、聴覚障害
教室 アーチェリー教室 昭和50年~ 県内在住の身体障害者が対象
大会 のじぎく杯アーチェリー競技大会 昭和51年~平成15年 肢体車椅子・立位、〈健常選手可〉
のじぎく杯室内アーチェリー競技大会 昭和52年~平成15年 肢体車椅子・立位、〈健常選手可〉

空手

 身障者玉津空手愛好会は昭和52年から石井啓友初段を中心に当体育館で活動し始め現在にいたっています。部員は身体障害者、知的障害者、健常者。練習は週1回、「礼」に始まり、「礼」に終わります。これまでの長年の地道な練習の成果として、平成15年、知的障害をもつ全員が日本空手協会昇級審査会において6級を受験して合格し知的障害で初の緑帯となりました。同じく、当体育館定期利用クラブの空手道播磨は播磨養護学校に勤務していた田中氏を指導者にし、卒業生を中心に平成8年から体育館で活動しています。

クラブ 身障者玉津空手愛好会 昭和52年から利用 肢体立位、知的障害
空手道播磨 平成8年から利用 肢体立位

車椅子社交ダンス

 平成元年神戸フェスピック大会開会式の公開演技として車椅子ダンスが行われることが決定すると、昭和63年明石市内でソーシャルダンス教室を主催していた磯部常一氏が当体育館で月2回指導し、練習が開始されました。(翌年同会は解散しました。)
 その後、平成11年、車椅子社交ダンス教室が開催され、練習は月2回木曜日に当体育館で行われています。阪神間の車椅子ダンスサークルや兵庫リハセンターOBの片麻痺者も加わり、しあわせの村シルバーカレッジの健常者がスタンディングパートナーとして協力し、平成14年にはピアチェーレ結成。当体育館の30周年記念セレモニーで円舞を披露しました。

クラブ 神戸西車いすダンスの会「ピアチェーレ」 平成14年から利用 肢体車椅子・立位

車椅子テニス

 全国的に障害者のテニスが盛んになってくるなか、昭和59年にテニス教室(福本指導員)を開催。車椅子使用者を中心に当体育館で室内の練習を行っていましたが、平成元年にしあわせの村屋外テニス場ができると練習場所を移しました。現在は平成2年に結成した車椅子テニス同好会が月1回障害をもつ初心者も積極的に受け入れ、当体育館で練習しています。

クラブ 車椅子テニス同好会 平成5年から利用 肢体車椅子

車椅子バスケットボール

クラブビーバー
クラブビーバー

 当体育館開設以前より兵庫県車椅子バスケットボールクラブ(後のクラブビーバー)があり、毎年5月に東京で開設される日本選手権大会に出場していました。当体育館開設後、車椅子バスケットボール教室(増田指導員)を開催し、教室修了者により明和工業協同組合従業員を中心に明和バスケットボールクラブも結成されます。その後、昭和51年から毎月「月例会」が開催されると県下にチームが次々と結成され、県内チーム数は全国一となりました。

 当体育館では、兵庫リハセンター利用者の体育訓練や県立障害者高等技術専門学院の職業訓練生の体育授業を開館以来現在まで当体育指導員が行っているために、彼らが初心者教室に入ったり、夕方クラブの練習に通いやすい環境にあります。当体育館の空き時間にシュート練習も容易にでき、これまで、徳永佑政、藤川泰博、永尾嘉章、是友京介、黒木新吾選手らが全日本ナショナルチームに選ばれ、ストークマンデビル大会やパラリンピックで活躍してきました。

明和バスケットボールクラブ
明和バスケットボールクラブ

 選手層は、(1)脊損男子、(2)脊損女子、(3)頸損のツインバスケットボールなど幅広く、兵庫県車いすバスケットボール連盟を昭和56年に結成します。同連盟は当体育指導員と協力し、のじぎく杯、のじぎく杯ツイン、あじさい杯、定例会、にこにこ杯、幾ちゃんカップ3on3、年忘れ暴年大会など多くの大会を毎年開催しています。さらに平成16年「体育館開設30周年記念第30回のじぎく杯」では韓国チームを招待し、大会を成功させました。また、近畿福祉大学など最近は健常者の大学生クラブが次々と出来始め、彼らが練習や大会に参加できるよう同連盟では積極的に受け入れてもいます。

 (1) 脊損男子は、当体育館定期利用クラブの明和バスケットボールクラブが第21回と第33回内閣総理大臣杯争奪日本選手権大会で優勝し、現在、神戸ビクトリーも全国制覇を目指し、当体育館で練習に励んでいます。なお、脊損男子は全国障害者スポーツ大会に出場できますが、同大会は所属クラブでなく選手の居住地をもとに兵庫県チーム、神戸市チームに分かれて競技をします。両チームの主力メンバーは明和バスケットボールクラブ、神戸ビクトリーと姫路ポテトのクラブ員なので、毎年、予選大会から本大会まで当体育館で練習が開始されます。

ZOO
ZOO

 (2) 脊損女子ではZooが活躍。運動経験のほとんどない女子が集まり、昭和53年にミニバスケット教室(葉田、増田指導員)参加から始まりました。平成元年の神戸フェスピック大会では才野昌江選手が日本代表選手として活躍しました。最盛期には脊損男子とも戦ってきましたが、肩などの故障者が相次ぎ、平成15年度から一時クラブの活動を休止し、解散となりました。クラブ員であった吉田絵里架選手は現在大阪の女子チームに所属していますが、日頃は当体育館の男子選手にまじって練習に励み、アテネパラリンピックで活躍しました。

 (3) 頸損のツインバスケットボールクラブではキャロッツが活躍。関東地域を中心に全国的にツインバスケットボールが盛んになった昭和62年、兵庫県ではツインバスケットボール教室(増田指導員)を開催し、教室に参加していた兵庫リハセンター付属中央病院の患者を中心にキャロッツが結成されました。平成3年には姫路市で日本選手権大会の主管クラブとして大会を成功させています。キャロッツは日本選手権大会、黒潮杯(高知)など他府県の大会に毎年遠征しています。また、「Teamええもん」は健康の維持増進のために日頃の体育館での練習に主眼をおいています。

クラブ 明和BBC 昭和50年から利用 肢体車椅子・脊損
神戸ビクトリー 平成8年から利用 肢体車椅子・脊損
姫路ポテト 平成15年から利用 肢体車椅子・脊損
ZOO 昭和50年~平成14年 肢体車椅子・脊損・女子
キャロッツ 昭和62年から利用 肢体車椅子・脊損
Teamええもん 平成7年から利用 肢体車椅子・脊損
協会 兵庫県車椅子バスケットボール連盟 昭和56年から 肢体車椅子・脊損
教室 車椅子バスケットボール教室 昭和50年から 肢体車椅子・脊損
ミニバスケットボール教室 昭和53年から昭和56年 肢体車椅子・脊損
ツインバスケットボール教室 昭和62年から 肢体車椅子・脊損
大会 のじぎく杯争奪車椅子バスケットボール大会 昭和50年~平成15年 肢体車椅子・脊損
あじさい杯争奪女子車椅子バスケットボール大会 平成7年~平成15年 肢体車椅子・脊損・女子
のじぎく杯ツインバスケットボール大会 昭和63年~平成15年 肢体車椅子・脊損
他:月例会、定例会、にこにこ杯大会、幾ちゃんカップ3on3大会、暴・忘年大会

シッティングバレーボール

シッティングバレーボール
シッティングバレーボール

 全国的に普及され始めた平成10年、当体育館でシッティングバレーボール教室(川口指導員)を開催しました。同年LSC(女子シッティングバレーボールクラブ)結成。シッティングバレーボールの国際大会では切断者・下肢機能障害者を対象としていますが、LSCが毎年参加している全国親善交流大会(長野県白馬村)は様々な障害者(下肢切断、内部障害、聴覚障害)や健常者も共に参加できる大会です。

クラブ 兵庫LSC 平成10年から利用 肢体立位、内部障害、聴覚障害
大会 兵庫リハカップシッティングバレーボール大会 平成11年~平成15年 肢体立位、〈健常者選手可〉

卓球

 昭和53年玉津卓球クラブ(現、フェニックス)、昭和56年兵庫県肢体不自由者卓球協会、平成7年ドリーム卓球クラブ結成。卓球は障害者と健常者が対等に競技でき、県内で最も競技人口が多い障害者スポーツです。同卓球協会はのじぎく杯争奪、友愛杯、がんばろう杯、ドリーム杯、兵庫リハカップなどの大会を頻繁に開催することで兵庫県の卓球レベルをあげ、兵庫県チームは全日本選手権大会で優勝するなど輝かしい成績を残し、別所キミヱ選手(元ドリーム卓球クラブ)もアテネパラリンピックで活躍しました。
 当体育館定期利用クラブは、学生時代から(現在は社会人)卓球クラブで活動していた選手の多いフェニックスと障害を受けてから当体育館の卓球教室(葉田、川口、福本、堀尾、石川指導員)で卓球を始めた選手の多いドリーム卓球クラブ(平成14年から活動を一時休止中)の2つのクラブがあります。

クラブ フェニックス 昭和53年から利用 肢体立位
ドリーム卓球クラブ 平成7年~13年 肢体車椅子、立位
協会 兵庫県肢体不自由者卓球協会 昭和56年~ 肢体車椅子・立位
教室 卓球教室 昭和50年~ 県内在住の障害者対象
大会 のじぎく杯争奪
肢体障害者卓球大会
昭和51年~平成13年 肢体車椅子・立位
友愛杯争奪卓球大会 昭和61年~平成13年 肢体車椅子・立位
ドリーム杯卓球大会 平成7年~平成14年 肢体車椅子・立位、聴覚障害、知的障害、内部障害
兵庫リハカップ卓球大会 平成11年~平成15年 肢体車椅子・立位、聴覚障害、知的障害、内部障害
兵庫リハカップゆうあい卓球大会 平成14年~平成15年 知的障害

チェアスキー

 チェアスキーが全国的に普及し始めた平成6年、高校時代にスキー部であった井上英年選手が兵庫リハセンター退所後、神奈川リハセンターで頸損用チェアスキーを製作し活動を開始しました。当体育館は温泉町牧場公園スキー場、千種スキー場でチェアスキー教室(増田、谷指導員)を開催。同年、兵庫県チェアスキー協会が結成されました。その後、六甲人工スキー場で毎年チェアスキー講習会が実施されています。

協会 兵庫県チェアスキー協会 平成6年~ 肢体車椅子

聴覚障害者バレーボール

 ろうあ者女子バレーボールクラブは当体育館が開館すると練習場所を当体育館とし、昭和51年に正式にクラブを結成し活動を始めました。当体育館で昭和51年~平成14年までろうあ者バレーボール教室(川口指導員)を開催。ろうあ者女子バレーボールクラブは昭和57年全国大会優勝など輝かしい成績を残しています。また、大野真実、清水敦子選手は全日本ナショナルチームに選ばれ、デフリンピックで活躍しました。

クラブ 兵庫ろうあ女子バレーボール部 昭和53年から利用 聴覚障害
教室 ろうあ者バレーボール教室 昭和50年~平成14年 聴覚障害
大会 兵庫リハカップ聴覚障害者交流バレーボール大会 昭和61年~平成15年 聴覚障害〈健常選手可〉

電動車椅子サッカー

 平成10年、当体育館で電動車椅子サッカー教室(川口指導員)を開催しました。平成12年パープルスネークス結成。当体育館で脳性麻痺、筋ジス、リウマチ、頸髄損傷者など電動車椅子を使用している様々な障害をもつ方が週2回活動をしています。メンバーは中学校生徒や施設や病院に入院されている方など社会環境も多彩です。

クラブ 兵庫パープルスネークス 平成12年から利用 肢体電動車椅子
教室 電動車椅子サッカー教室 平成10年から利用 県内在住の障害者が対象、16才未満の方は保護者同伴で参加

バドミントン

 当体育館開館と同時に出来たポニークラブでバドミントンは積極的に行われていましたが、その後解散。その後、全国選手権大会を目指し妙見信也選手らが平成7年に「アトム」を結成し練習に励んでいます。また、当体育館および神戸風見鶏と共催により毎年兵庫オープンバドミントン交流大会を開催しています。

クラブ アトム 平成8年から利用 肢体立位、聴覚障害
教室 バドミントン教室
肢体立位、聴覚障害
大会 兵庫オープン障害者バドミントン交流大会 平成8年~平成15年 肢体車椅子・立位、知的障害、聴覚障害

ボッチャ

 平成8年、アトランタパラリンピックで脳性麻痺者を対象にボッチャ競技が正式種目として採用されると、千葉で全日本選手権大会が開催され、いっきょに全国に普及されました。それまで、当体育館では脳性麻痺者のスポーツは陸上、ローリングバレーバールに限られていましたが平成9年にボッチャ教室(谷指導員)を開催すると多くの参加者が集まりました。参加者は片麻痺や頸髄損傷者もおられました。室内で手軽にできるスポーツなので、多くの障害者がボッチャを楽しむようになり、平成10年兵庫県ボッチャ協会設立。毎年、当体育館と共催で兵庫県オープンボッチャ大会を開催しています。

協会 兵庫県ボッチャ協会 平成10年から利用
大会 兵庫オープンボッチャ大会 平成10年~平成15年 肢体車椅子・立位、知的障害

陸上

第1回野々池車いすマラソン大会
第1回野々池車いすマラソン大会写真

 当体育館開設以前より藤川泰博、山端智佐美、野崎輝男選手らが兵庫リハセンター運動療法室や屋外で陸上車椅子スラローム競技の練習に励み、ハイデルベルグパラリンピックやストークマンデビル大会で活躍しました。当時、兵庫県選手のスラローム技術は全国で最も高いと評されていました。
 当体育館開設後、昭和50年に全国身体障害者スポーツ大会切断の部で走り高跳び日本記録を出した本田義治選手は翌年トロントパラリンピックに出場しました。当体育館では陸上教室(増田指導員)を開催し、本田選手の指導を行いました。その後、車椅子マラソンが盛んになってきた昭和55年から野々池車椅子マラソン大会を開催。昭和56年から現在にいたるまでは毎年陸上教室(川口指導員)を再開。兵庫ランナーズクラブも結成されました。当初、車椅子バスケットボールとマラソンを兼ねて行う選手が多かったのですが、平成元年、神戸フェスピック大会での兵庫県選手の大活躍、その後、車椅子マラソンが脚光を浴びる中、陸上に専念する藤川泰博、川上耕作、永尾嘉章、畑中和、森島英樹、廣道純選手と国際大会で活躍する選手が増えていきました。とくに畑中選手はアトランタ、シドニーパラリンピックで銀メダル、アテネパラリンピックで金メダルを獲得しています。なお、兵庫ランナーズのメンバーは、京都や津山で開催される駅伝大会でも兵庫県チームや神戸市チームとして活躍しています。
 また、平成7年、兵庫県身体障害者陸上連盟設立。車椅子使用者ばかりでなく、フィールド競技でパラリンピックの円盤投げで活躍した立位脳性麻痺の松井直樹選手、400m走の世界記録保持者小谷謙二選手(片大腿切断)らが所属しています。

協会 兵庫県身体障害者陸上競技連盟 平成4年~ 肢体車椅子・立位
教室 車椅子使用者陸上競技教室 昭和56年~ 肢体車椅子
大会 野々池車椅子マラソン大会 昭和55年~平成元年 肢体車椅子

ローリングバレーボール

 ローリングバレーボールは播磨養護学校の体育の授業で盲人バレーボールを基に肢体不自由者を対象に考案された競技でした。床上でボールを転がし、ネットの下を通過させて行います。一般のバレーボールは空間のボールをプレイしますが、平面での競技なので障害が重度の方にも楽しむことができます。
 兵庫県ローリングバレーボール連盟は播磨養護学校同窓生を中心に、当体育館指導員と協力して初心者教室(川口、堀尾指導員)を指導し、昭和58年に団体を結成しました。ローリングバレーボールは兵庫県が発祥の地であり、同連盟は平成元年当体育館と協力してローリングバレーボール競技規則をつくり、東京、神奈川、愛知、大分、京都など全国に普及させ、のじぎく杯争奪ローリングバレーボール大会を経て、平成9年から全国ローリングバレーボール大会を開催し、現在も当体育館を中心に活発な活動を続けています。

ローリングバレーボール ルールブック

ローリングバレーボール

'89フェスピック神戸大会公開競技としてローリングバレーボール競技が実施され、延べ400名を超える見学者があり、地元小学生たちも体験した。(平成元年9.19)

クラブ 兵庫県ローリングバレーボール連盟 昭和60年から利用 肢体車椅子・立位
大会 全国ローリングバレーボール大会 平成9年~平成15年 肢体車椅子・立位、聴覚障害、知的障害、視覚障害、健常者
兵庫リハカップ ローリングバレーボール大会 平成11年~平成15年 肢体車椅子・立位、聴覚障害知的障害、健常者

教室 水泳教室
(当センター付属中央病院水治療法室を利用)
昭和53年から利用 肢体車椅子・立位、視覚障害
大会 ふれあいフライングディスク競技大会 平成8年~15年 肢体車椅子・立位、知的障害
兵庫リハカップフライングディスク大会 平成14~15年 肢体車椅子、肢体立位
兵庫リハカップ障害者ボーリング大会
(会場はスーパーボール二見を利用)
平成10年~15年 肢体車椅子・立位、聴覚障害、知的障害
障害者&健常者ベンチプレス交流大会 平成15年から利用 肢体車椅子
オールジャパン車イス アームレスリング選手権大会 平成12年~15年 肢体車椅子
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